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足尾銅山・銅(あかがね)街道

足尾銅山・銅(あかがね)街道


足尾銅山は慶長15年(1610)に発見され、芝上野の徳川廟の築造や江戸城の増築の時に屋根瓦に使用されました。

元禄10年(1697)の我国の銅の生産高は世界一で、長崎貿易の輸出高の半分は銅であったといいます。

大正初期には人口が栃木県内で宇都宮に次いで第2位となり「鉱山都市」と呼ばれやがては名実ともに日本一の銅山として大いに栄えたそうです。

鉱山経営が順調に発展するなかで、、公害の原点といわれる足尾鉱毒事件が発生し

坑木や燃料として周辺の山林を乱伐したことと、硫酸を含んだ煤煙とによって周辺の森林は大きな被害を受けました。

明治29年の渡良瀬川の大洪水によって鉱毒問題は一挙に拡大していき

34年に田中正造の天皇直訴事件となります。

輝かしい歴史の足尾銅山は昭和48年に閉山となりますが



今でも町のあちこちで、むかしの銅山の繁栄ぶりを忍ぶ歴史を多く見ることができます。

そして足尾で精練した御用銅を江戸へ運ぶための道として、銅山街道(あかがねかいどう)が設けられました。

この街道は、まさしく銅の道でした。

足尾を出た御用銅は、沢入(そうり)・花輪・大間々(のちに桐原)・大原・平塚の

5つの宿を順番に送られたのち、利根川を下って江戸浅草の御蔵入りとなりました。

春の日差しになってきましたし

国道122号沿線の自然と歴史にふれる、のんびり旅は如何ですか!?




 

2018-02-20 10:00:00

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